一般社団法人躰道本院

玄制流とは

玄制流空手道は、祝嶺正献が1953年(昭和28年)に創始した空手道です。

≪玄制流空手の流名≫

 玄制流の「玄制」とは、老子の「無は天地の始めに名づけ、有は万物の母に名づく。(略)この両者は同出にして名を異にする。同じくこれを玄という。玄のまた玄は、衆妙の門なり」を出典としたものです。

 玄制の「玄」は、「天上、もと、しずか、奥深い、老荘の道徳」を表しています。これらは、人間の形成に必要なものです。また、玄制の「制」は、「分限、のり、おきて、形作る、天使の命令」を表しています。これらは、人間の行動に必要なものです。

 こうしたことから、「玄制」という言葉には、≪武道を修める人間の形成、行動の基調たる人格と意思動作を、術技、体育、精神、芸術の面から分限一杯に養成して内面を鍛えると同時に、実際に外面へ現す「技」と「法」を修得する≫という意味が含まれています。

≪玄制流の創始≫

 玄制流の創始者、初代宗家最高師範の祝嶺正献は、1925年(大正14年)、沖縄県名護市に生まれました。 祝嶺正献は、1933年(昭和8年)から佐渡山安恒に、1937年(昭和12年)から岸本祖孝先生に師事し、首里派古流空手を学びました。祝嶺正献は、岸本老師の厳しい鍛練法で鍛えられ、「空中六段蹴り」「天井張り付き」高度な技量を修得していきます。

 やがて太平洋戦争が始まり、1945年(昭和20年)には、祝嶺正献は、海軍特攻隊「菊水隊」に配属され、沖縄近海にて特殊潜航艇「蛟竜」による敵艦への特攻を命じられます。「蛟竜」には、直線的な動きしかできないという弱点がありました。祝嶺正献は、こうした経験から空手における攻防への探求と、実践への試行錯誤を繰り返していくことになります。

 戦後になると、祝嶺正献は沖縄での山籠もりや無人島での鍛練から、大自然との共生と挑戦を通じて、新技の創作に取り組みます。1949年(昭和24年)に、その一部を静岡県伊東市で公開し、1953年(昭和28年)に「玄制流空手道」の名称が公表されました。

≪玄制流空手道の特徴≫

 祝嶺正献は、玄制流の創始から発展の中で、独自の型を創作しています。一方で、沖縄伝来の古い空手の優れた技法を残しつつ、その術技を系統立てて整理することにより、沖縄空手の難点とされていた訓練法や指導法の確立を進めました。

 祝嶺正献が創作した玄制流空手道の型には、手足の攻防技だけではなく、胴体を操作した後に施す新技術が導入されました。この結果、玄制流空手道では、従来の空手では見られなかった術技の展開が行われることとなりました。

 玄制流空手道では、胴体の操作を「体軸の変化」と捉えています。一次元・二次元に限定された空手の狭い動きは、三次元の運動空間での攻防にも通用する技へと昇華し、玄制流空手道の型として完成されました。

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